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1989年11月、ベルリンの壁の崩壊
EU・東欧諸国間の外交関係を修復させる試みが開始される。EUや西側諸国による貿易制限が徐々に撤廃される。また、 東欧諸国の市場経済導入を財政的に支援するプログラム(Phare-Programm)が開始された。
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1990年代に入ると、EU加盟国と東欧諸国との間に連合協定(「ヨーロッパ協定」とも呼ばれる)が締結された。その締結時は以下の通りである。
国名 |
協定締結時 |
協定発効時 |
ハンガリー |
1991年12月 |
1994年 2月 |
ポーランド |
1991年12月 |
1994年 2月 |
ブルガリア |
1993年 3月 |
1995年 2月 |
チェコ |
1993年10月 |
1995年 2月 |
ルーマニア |
1993年 2月 |
1995年 2月 |
スロバキア |
1993年10月 |
1995年 2月 |
エストリア |
1995年 6月 |
1998年 2月 |
ラトビア |
1995年 6月 |
1998年 2月 |
リトアニア |
1995年 6月 |
1998年 2月 |
スロベニア |
1996月 6月 |
1998年 2月 |
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※ なお、トルコ、マルタおよびキプロスとの協定は下記の通りである。
トルコ |
1963年 9月 |
1964年12月 |
マルタ |
1970年12月 |
1971年 4月 |
キプロス |
1972年12月 |
1973年 6月 |
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連合協定
第3国のEU加盟を念頭において締結される連合協定は、@通商問題、A締約国間(EU加盟国と第3国間)の政治対話、また、産業、環境、交通、関税などの諸政策分野における協力関係の構築について定めている。また、第3国とEU間に自由貿易地域を斬進的に形成するとしている。そのために必要な貿易の自由化は、相互性の原則に基づき行われるが、EUは第3国よりも迅速に貿易を自由化する義務を負っている(この意味において、条約上の義務にはある種の不均衡が存在する)。
連合協定について詳しくは こちら
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1993年6月、コペンハーゲンにおいて、欧州理事会は、中・東欧諸国のEU(なお、当時、EUはまだ発足していなかった)加盟を現実のテーマとして認識し、加盟の基準(コペンハーゲン基準)を定めた。これによって、旧共産主義国のEU加盟は「そもそも可能か」という問題は解決され、「いつ」実現されるかという問題に取って代わった。
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1994年3月以降、中・東欧諸国はEUへの加盟を申請した。申請時は以下の通りである。
国名 |
申請時 |
ハンガリー |
1994年 3月31日 |
ポーランド |
1994年 4月 5日 |
ルーマニア |
1995年 6月22日 |
スロバキア |
1995年 6月27日 |
ラトビア |
1995年10月13日 |
エストニア |
1995年11月24日 |
リトアニア |
1995年12月 8日 |
ブルガリア |
1995年12月14日 |
チェコ |
1996年 1月17日 |
スロベニア |
1996年10月10日 |
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※ トルコ、キプロスおよびマルタの申請時は下記の通りである。
トルコ |
1987年 4月14日 |
キプロス |
1990年 7月 3日 |
マルタ |
1990年 7月16日 |
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1994年12月(オーストリア、スウェーデン、フィンランドのEU加盟が実現する前である)、ドイツのエッセンで開かれた欧州理事会は、中・東欧諸国のEU加盟に関する方針を決定した。もっとも、加盟交渉の具体的な日程は定められなかった。
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1995年12月、マドリードにおいて、欧州理事会は、交渉の具体的な日程を決定した。また、EU加盟の基準として、申請国はEC法の適用に必要な行政制度を有することを強調した。
さらに、中東欧諸国の加盟申請について評価し、EU拡大の影響について分析するよう欧州委員会に求めた。
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1997年6月16日、アムステルダムにおいて、アムステルダム条約草案が採択され、同年10月2日、EU加盟国外相によって同条約が締結された。これによって、EU拡大をにらんだ機構改革の基礎が築かれた。同条約の発効は、1999年5月1日である。
(参考) |
入稲福智「EU法上の諸問題とマーストリヒト条約の修正(2・完)」平成国際大学法政学会編『平成国際大学論集』第4号(2000年3月)39頁以下
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EU法講義ノートの該当箇所
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1997年7月16日、欧州委員会は Agenda 2000 を公表し、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロベニア、エストリア、キプロスとの加盟交渉を開始するよう提案した。
なお、ラトビア、リトアニア、マルタ、スロバキア、また、留保付きで、ブルガリアとルーマニアとの加盟交渉は、1999年にいたって初めて提案された。
Agenda 2000 は、新世紀におけるEUの発展、EU拡大の影響、また、EU拡大をも考慮した2000年以降のEU財政に関する欧州委員会の報告書である。また、中東欧諸国の加盟申請に対する欧州委員会の見解も述べられれいる。
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(参考) |
入稲福 智「ユーロ導入後のEU (欧州連合) ― 1999年上半期におけるEUの法と政策の発展 ―」『平成法政研究』第4巻第1号(1999年)53頁以下 |
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EU法講義ノートの該当箇所
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1997年12月、ルクセンブルクにおいて、欧州理事会は、13カ国との加盟交渉に関する一般方針を決定した。その概要は、@EU加盟国と全加盟申請国からなるヨーロッパ会議(European Conference)の開催とA各申請国との加盟手続の実施となっている。
ヨーロッパ会議(European Conference)
EU加盟国と全ての加盟申請国が出席し、外交・安全保障政策、司法・内政に関する案件、地域間の協力や経済問題など、共通の問題について審議するためのフォーラムである。第1回目の会議は、1998年3月12日、ロンドンで開催された。2000年12月、ニースにおいて、欧州理事会は、バルカン諸国やEFTA加盟国も将来のEU加盟国として会議に参加するよう要請している。
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その他、欧州理事会は、中・東欧の10カ国とキプロスのEU加盟支援策とプログラム(加盟パートナーシップ)を採択した。
申請国のEU加盟を支援する方策(EU加盟支援策)の主たる内容
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連合協定の適用
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加盟パートナーシップやEC法の総体系の受け入れに関する国内プログラム
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以下の加盟支援
包括的な財政支援・投資促進(Phare-Program)
環境・交通政策の分野における投資援助(ISPA)
環境・交通政策の分野における投資援助(ISPA)
農業・農村地帯支援(SAPARD)
欧州中央銀行などの国際金融機関との共同財政支援
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ECのプログラムや事務所の設置 |
加盟パートナーシップは、EUによる中・東欧諸国への支援を調整し、また、EC法の受け入れに必要な行政機構の整備を支援するために1998年5月に開始された(なお、キプロスとマルタとの加盟パートナーシップは2000年に締結され、また、トルコとの加盟パートナーシップは2001年3月に開始された)。EU加盟支援策の最も重要な要素に当たる。プログラムの一環として、加盟国の行政機関から申請国に官吏が派遣されたが、その目的は共同作業の促進にあるのではなく、合意された目標(申請国の法体系をEC法に合致させること)の実現にある。1998〜2001年のプログラムは、主として、農業、環境、財政および司法・内政に重点をおいて実施された。
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また、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロベニア、エストリア、キプロス(いわゆる、ルクセンブルク・グループ)と加盟交渉を開始することが決定された。
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1998年3月31日、先のルクセンブルク欧州理事会の決定に基づき、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロベニア、エストリア、キプロスとの加盟交渉が開始された。
EU理事会の委託を受け、欧州委員会は申請国が加盟基準を満たしているかどうか調査するが、その結果が良好で、加盟交渉の開始が委員会より提案されれば、欧州理事会は、実際に交渉を開始するかどうかについて判断する。交渉の焦点は、申請国によるEC法の受け入れにあるが ( EC法の総体系の受入)、EU加盟時より直ちに適用することができない点については、移行措置が設けられる。なお、加盟交渉は、EU加盟国と個々の申請国との間で実施され、EUの利益は欧州委員会によって主張される。また、交渉過程では、申請国の法制度がどの程度、EC法に合致しているかが個別的に調査される。そのため、進捗状況は必ずしも同一ではないが、進行の目安となる「ロードマップ」が欧州委員会によって作成されている。これは、ある時点までに個々の交渉段階を終結させることを目的として作られたが、すべての問題は2001〜2002年の交渉において解決されるべきとされる。この「時刻表」は、2000年12月のニース欧州理事会において、交渉手続の重要事項に付け加えられた。さらに、2001年12月、スウェーデンのゲーテブルク(Göteborg)の欧州理事会において、加盟交渉のモデルとして確認された。
なお、欧州理事会の指示に従い、欧州委員会は、2000年 中頃より、EC法の総体系の受け入れ時期に関する合意を申請国が遵守しているか、また、どの分野において、その実施が遅れているかを監視している。
(参照)欧州委員会の公式ホームページ[英語]
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1999年3月24〜25日、ベルリンにおいて、欧州理事会は Agenda 2000 を採択し、2002〜2006年間のEU拡大予算を決定した。
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1999年12月、ヘルシンキで開催された欧州理事会は、さらに、ブルガリア、スロバキア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、マルタ(いわゆる、ヘルシンキ・グループ)との加盟交渉開始を決定した。
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2000年2月15日、ヘルシンキ欧州理事会の決定に基づき、新たにブルガリア、スロバキア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、マルタとの加盟交渉が開始された。
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2000年12月7〜11日、フランスのニース(Nice)でニース条約が採択され(加盟国による締結は2001年2月26日)、EU拡大を念頭に置いた機構改革について定められた。また、EU拡大に関する議定書が同条約に添付された。なお、同条約は2003年2月1日に発効した。
EU法講義ノートの該当箇所
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2001年6月、スウェーデンのゲーテブルク(Göteborg)において、欧州理事会は、EU加盟の準備が整り、2004年の欧州議会選挙に加わりうる申請国を2002年末までに決定することを強調した。
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2002年12月12〜13日、コペンハーゲンで開催された欧州理事会は、以下の10カ国との加盟交渉が終了したことを受け、2004年5月1日の新規加盟を決定した。なお、ブルガリアとルーマニアの加盟は2007年まで先送りされた(2002年12月の時点では、2007年加盟の見通しが示されたに過ぎないが、2004年末、欧州理事会は、加盟時期を2007年元旦と決定している)(参照)。
ハンガリー |
ポーランド |
チェコ |
スロバキア |
ラトビア |
エストニア |
リトアニア |
スロベニア |
マルタ |
キプロス |
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2003年4月16日、アテネにて、上掲の10カ国と加盟協定が締結された。 |